死にたいけど、トッポッキは食べたい

 

 

 

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最近、友人や巷でもよく聞く、「自己肯定感」。

自分のことすら愛せないのに、どうやって誰かを愛するんだ?って、誰かが言った言葉。

ずっとこういう類の言葉やフレーズがどこか棘みたく刺さって、なんとなく苦手だし、そんな感情爪の先程も持てていない。

 

この本は、「気分変調性障害」と診断された著者の、カウンセリングを受けながら医師と交わしている対話、日常の生活から細やかに感じる感情の状態に対するおもいが描かれている。

 

推しグループの推しのベッドに置いてあって、最初はどこかへんてこりんなタイトルだな!おい!と思いながらも推しの見るもの、感じるもの、紡ぐ言葉は十中八九なにか心に残るものがあると勝手に思い込んで、タイミングを逃しつつもたまたま本屋さんに置いてあるのを見つけて、買ってみた。

 

対話形式なのでするするっと読める、そして、あ〜わかる!の連続。

著者ご本人の実体験。他人の視線を意識して、いい姿を維持するように努めて、でも不満がない訳ではもちろんないし、自分が価値のある人間だと思えない。

他の人より自分はまだマシだ、そうおもうから自分がつらくっても言い出せない。

推しがいつだか、「自分より辛い人がいるのにそんな事言ってはだめだ」と言ってたのを思い出して、自分もどこか負の感情はこういう鎖をつけてどうにか封じ込めようとしているかもしれないな、と気づかされる。

 

語彙力のない感想だけど、物事や感情を白か黒かで決めがちな自分は、こういうところが自分で自分を生きにくくさせてるんだろうなとおもった。

著者の苦しみももちろん魔法がかかって一瞬で消えてしまう訳ではないけれども、物事や感情を白か黒かで決めるんじゃなくて、白もあって黒も当たり前にあって、それを当たり前に受け入れていく過程や、中間のグレーだって、他の色にだってできる、そんなことが楽しめたらもう少し気楽に生きられるのかな、と。書いてある文にハッとさせられる。

 

このご時世そんなすぐにハッピー!に生きるのは無理だけど、少なくとも周りと比較をしながら、基準を定めるんじゃなくて、自分のフィーリングや心の声を(カッコよくいってみたかった)を大切にしたら自然とハッピー!に近づける気もしたりして。

 

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時折やってくる憂鬱でどうしようもない日も、別に悪いことではなくて、投げやりに捨ててしまうんじゃなく、そういう日ともうまくつきあって、光を理解できる影のある人になりたいな、とおもった。

 

こういう自助本みたいなの、すごく苦手意識があったけどさらっと読めてよかった!著者さんも、何かを見出してはまた悩んでの繰り返しで何かが大きく解決する本ではないかもしれないけど、その遅々とした堂々巡りがまた心に響くし、信じたくなる。どうでもいい感想をつらつらと連ねてしまったけど、是非に。

 

 

 

予感のするほうへ

 

 

 

 

年明け早々、熱にうなされている。

1年間溜め込んだものがすーっと解放されたみたいに、長い休みはだいたいこうだ。

 

 

周りの友達が去年の年末にかけてブログをやっているのを見て、みんな共通して文字でいろいろなものを整理して、気持ちを綴っているのを見て、ああ、素敵だな とおもって始めてみた。

ずぶずぶとオタクをしていた去年は別のブログで限界突破していたりしたけど、なーんかうまくいかなくてやめてみたり。そんなかんじ。

 

 

撮ったもの、感じたことを残して振り返るのもいいかもなと思った。あとは吐き出し切れない言葉をなんとか生み出して、苦しみから逃れたい一心で始めたのもある。笑

 

 

去年は、全然未知の世界に足をずぶずぶと踏み入れた1年だった。

韓国のかの字も知らないわたしにとっては目紛しい情報量のアイドルに、そもそもの異言語に、初めて人に抱いた所謂「リアコ」という気持ちに、苦しめられることも多かった。

 

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かわいくないですか?(唐突な布教心)

今までジャ◯ーズとか、そういう自分とは遠い誰かを好きになったことがなかった手前、初恋のような、その人を見た瞬間に彼の美しさ、純粋さ、舞台でパフォーマンスしている姿、歌声、その全部がわたしの心を揺さぶって、それはいつしかわたしの真ん中にずっとある何かになってた。

 

推しが歌うソロ曲の一部だ。

 

모래 바닥이 갈라진대도
砂の地面が割れたとしても

그 누가 이 세곌 흔들어도
誰かがこの世界を揺さぶったとしても

잡은 손 절대 놓지 말아줘
握った手は決して離さないでくれ

제발 꿈에서 깨어나지 마
どうかこの夢から覚まさないでくれ

Euphoria

Euphoria

 

彼の口から出た言葉も、彼の言動も、彼の信念も、わたしの中にするする入ってきて、わたしの一部になる。それらは時にわたしを助け、時にわたしの背中を押し、時にわたしを励まし、時にわたしをダメにする。いくら深い沼に浸かってもそこからはいつか這いずりでる時がきて、それでも、1度中に入ってきてしまったらそれはわたしの頭のてっぺんから足の先まで行き渡って、またその訓にわたし自身の経験も重ねてそれは、わたしを、わたしの人生をつくる一部となる気がする。いつか彼の事を忘れてしまっても、彼から吸収したたくさんのことはもうすっかりわたしの体に染み付いていて、「彼が染み付いた私」が「当たり前の私」であるから、もう彼を覚えてる覚えていない関係無しに、わたしの中にずっと推している彼はいるのだろうなあ なんて思う。

 

 

というのが昨年のわたし。意外とあっという間にその沼からは這いずり出ていた。

 

 

嫌いになったわけじゃない、けど、限界モブオタがほんとに限界突破してしまった感じ。

燃え尽き症候群とでも言った方がいいんだろうか、熱量を持って愛すことができなくなってしまった。

誰かがこの世界を揺さぶっても手を握っていたかったし、素敵な夢から醒めたくもなかった。

意気込んでライブや握手会に行くために買った服も、駆け込み寺のように通い込んだ美容院やエステサロンも、早朝に書いたネームプレートも、馬鹿みたいな期待のような何かといっしょにふくらみすぎて、気付いた頃には持つ意味を失ってて、大爆発。アイドルとして好きになりたかった!と500億番煎じくらいであろう、リアコのテンプレの台詞を。

 

 

来世はもっと違う設定で出会いたいな。これでオタクの話は終わり。成仏!

 

 

仕事も、プライベートも、こんな感じで熱しては冷め熱しては冷めてを繰り返して、身体はド健康なのにメンタルはフライングダイナソーみたいな感じでなんだかすごい忙しのない1年だった気もする。

ずっと働いていた仕事にマンネリを感じて、手相を占ってもらったらあなたは医療系で働いたほうがいいよと言われた。

確かに感じていたマンネリの根本は"やりがいを感じられない"というところにあったのと、その当時の自分は完全敗北白旗イェイイェイ!と言ったメンタルの具合で、自分でこういう業種でこう働きたいと言った軸なんか1ミクロンも持ち合わせてなくて、取り敢えず限界が来ていたので、転職をしてみた。

 

元々働いたことのある業種だったけど、触れたことのない世界に踏み入れる機会もとっても多くなって、山ほど勉強してみたりして、あ、意外と勉強楽しいな〜〜なんて人生で初めて思ってみたりもした。あとは、嫌なほど人の生死に立ち会う機会も増えた。ちょっぴり誰かを想って泣く夜も多くなった。

 

ここからは誰得でもない、知らんがな.comのお話ですが、情けないながら、前職は割と早々にじつは心がポキっと折れていて、そこから数年なんとか経ちましたが、折れてしまったものをなんとか繋ぎ合わせて何か目標を見出して頑張ったというよりかは「惰性」という言葉が似合うような、そんな今までの時間だった気がする。だらけている自分のせいで。

今思ってもただ時間だけが過ぎ、いつも夜になると人生について悲観してそこから逃げるために空想の世界や優しい世界に没頭して朝を遠ざけ、目覚まし時計が鳴っては絶望する、そんな事の繰り返しの日々だったように思う。中身のないただ筒のような。そこから抜け出せたのは推しのおかげでもあり、周りにいてくれた数少ない友人たちに何より助けてもらったなぁと思っています。

 

知らんがな.com、いつまで書き続けるんですか?って感じですよね、すみません。

 

 

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去年の最後にフェスで見たアーティストがこんな事を歌っていた。

楽しい予感のする方へ 心が夢中になる方へ
正解なんて あって無いようなものさ 人生は自由
今 予感のする方へ 会いたい自分がいる方へ
他人の目なんて あって無いようなものさ 感性は自由

(SUPER BEAVER / 予感 )

 

ひさしぶりに曲を聴いて胸が高まったし、ひさしぶりに鳥肌が立った。そして、自然と身体は踊っていた。あ、来年はこんな風に生きたいな、とふと思いながら聴いていた。

今年はライブにもたくさん行きたい。フェスにも、地方にも、楽しい予感のする方へ、真っ直ぐ向かっていたいな。